私がその作品に出会ったのは、たしか小学校1~2年生の頃だったと思います。
父親が会社の同僚からもらったのか、ごそっと紙袋に入れて持って帰ってきてくれた漫画に、当時の私は夢中になりました。
冒険心あふれるストーリーと世界観、次々に現れる強敵を、さらに次々パワーアップして倒す主人公達。
そう、『ドラゴンボール』です。
そして、作者はみなさんご存じ、世界で最も有名な漫画家と言っても差し支えない「鳥山明」先生です。
そんな鳥山先生であれば、さぞかし人がうらやむ華やかなキャリアを築いてこられたのだろうと思っていました。
しかしながら、調べてみると決してそれは平坦な道のりではなく、私達にとっても非常に学ぶべきことが多いものでした。
本記事では、鳥山先生のキャリアの歩みを僭越ながら振り返りつつ、私たちにも役立てられるキャリア開発のヒントを見ていきたいと思います。
漫画家・鳥山明のキャリアパスを追う

まずは、鳥山先生のキャリアを振り返ってみましょう。
絵を描くのが大好きだった幼少時代~学生時代
愛知県清須市に長男として生まれた鳥山先生は、子供のころから絵を描くことが大好きだったそうです。
高校では美術部に所属し、漫画研究同好会も設立しましたが、実は漫画を描くことはなかったといいます。
その後、高校を卒業し、就職します。
遅刻で退職!会社員時代の苦悩
高校卒業後、やはり絵を描く仕事に就きたいと考え、地元の広告デザイン会社にデザイナーとして入社します。
ところが、鳥山先生は平然と遅刻を繰り返してしまい、2年半で退職してしまいます。
また、好きな絵を描けるという希望と合致したと思って入りましたが、任される業務はレタリングと呼ばれる文字を見やすく美しく見せるための調整業務が主で、仕事に嫌気が差していたと言います。
偶然見た漫画雑誌から漫画家へ
会社退職後、親から毎日500円をもらって生活をしていたという鳥山先生。
もちろん、そんな生活をずっと続けることもできず、「2年以内に仕事を見つけなさい」と親からも言われていたそうです。
当時絵を描ける仕事でイメージされるのは「イラストレーター」か「漫画家」だったそうですが、この2択のうち、イラストレーターはなり方が分からない。
「じゃあ、漫画家だろう」ということで、喫茶店で偶然見た漫画雑誌の新人賞に応募することにし、それまでまともに描いたこともない漫画を描き始めました。
そんな23歳の誕生日に初めて書き始めた漫画ですが、当初投稿を予定していた漫画雑誌の賞は、まさかの締め切りに間に合わず…
それで毎月作品を募集していた『ジャンプ』に応募したのです。
※ちなみに、この時書いたのはギャグマンガで、理由はストーリー漫画と賞金が同じなのに必要なページ数が半分でOKだったからだそうです。
鳥山先生の作品を見た編集長である鳥嶋氏は、その絵のうまさを気に入ってくれましたが、読者アンケートではまさかのぶっちぎりのビリ。
当初は原稿料さえもらえれば漫画はやめようと思っていた鳥山先生ですが、意地もでてきて、ここから1年間漫画を描き続けます。
しかし描けども描けどもボツの連続。この1年間で、なんと500枚くらいは描いたそうです。
本人曰く、「ぼくの性格なんか、割と得なんですよね。没になったりしても気にしないから」とのことで、めげずに描き続ける鳥山先生。
そしてついにデビューを迎えます。
漫画家デビューも月給3万円時代

1978年、『週刊少年ジャンプ』にて読み切り作品『ワンダー・アイランド」で漫画家デビューを飾ります。
しかし、読者アンケートの結果はまたしても最下位。その後発表した短編作品の人気も芳しいものではなく、この時期の月給は3万円だったとのことです。
ヒット作品の誕生
そんな時代を経て、ついに一つ目にヒット作を世に生み出します。
『Dr.スランプ』です。
あっという間に人気作となり、テレビアニメ化もされ、一大ブームを巻き起こします。
当時の歴代アニメ最高視聴率で3位になる大ヒットアニメとなり、鳥山先生の名も瞬く間に世に知られるようになりました。
ドラゴンボールの開始

そんな『Dr.スランプ』ですが、鳥山先生はアイディア不足を理由に、連載を辞めたいと相談したそうです。
「3カ月後に新連載を始めるなら終わってもいい」と言われ、1984年8月に『Dr.スランプ』の連載を終了し、同年11月、後に世界中で愛されるメガヒット作品となる『ドラゴンボール』の連載を開始します。
今でこそ、バトル漫画の金字塔的作品である『ドラゴンボール』ですが、はじめは西遊記にコメディや格闘漫画の要素を加えた孫悟空という少年の冒険譚でした。
はじめから今のように大人気作品というわけではなく、連載時の期待に反して、徐々に読者アンケート順位は下降していきます。
そこで編集者である鳥嶋氏と分析を重ね、徐々に明快なバトル漫画ストーリーへと軌道修正していった結果アンケート順位はV字回復。ついにはジャンプの看板作品となります。
そして、ドラゴンクエストのキャラクターデザインをはじめ、その後もみなさんご存じの多岐に渡る活躍をされるキャリアを歩まれていきます。
鳥山先生のキャリアから学ぶこと

大分駆け足ではありますが、ここまで鳥山先生のキャリアを見てきました。
そして、そのキャリアパスには、私達にも非常に学びとなる点がいくつも見られます。
学び①:「できない」は能力不足ではなく向き不向きがあるだけ
高校卒業後に入社した会社で、鳥山先生は何度も遅刻を繰り返していたそうです。
朝が弱く起きれなかったらしいですが、一般的には「自己管理ができない人、なのでおそらく仕事もあまりできないのだろう」という見方をされがちな状況です。
こういった周りができていることができないと、必要以上に「自分は能力の低いダメなやつなんだ…」と思ってしまう方がいますが、人間だれしも向き不向きというものはあるものです。
これはかなり極端な例ではありますが、事実、鳥山先生のように他の素晴らしい才能が隠れている場合もあります。
できないことで落ち込んだときは、能力不足と自分を責めるのではなく、向き不向きの視点を持ってみましょう。
学び②:理想と現実のズレは「やってみて」初めて前進する

絵が描けそう→広告デザイン会社というキャリアパスは、一見すると筋が通った正解そうな仕事の選び方に思えます。
しかし実際には、レタリングばかりで希望する業務ができず、会社が嫌になってしまいます。
このようなケースは現代のキャリア相談においても非常に多いです。
思い描いていた理想の業務以外を担当することになると、途端にモチベーションが下がり、キャリアを迷い始めてしまうパターンです。
なんとなく華やかそう、自分の好きを活かせそう…と思ってその業界や会社に入りますが、実際に会社を構成する仕事というのは非常に多岐に渡り、様々な人々の支え合いがあって成り立っています。
自分が理想としている業務というのは、それらを構成する一要素にしかすぎません。
転職活動において、企業研究する際は、そういった全体的な業務像も確認することが大切です。
また、学び①の向き不向きと同じく、何が自分にとってマッチする仕事かというのは、多くの場合そんな簡単に分かるものではありません。
究極的には「やってみないと分からない」のです。
そして、それがうまくハマれば何よりですが、別にうまくハマらなくても、「うまくいかない」と分かっただけで前進なのです。
ちなみに、鳥山先生も結果として2年半で退職となりましたが、「わずかでも世間の仕組みを知ることができて、無駄ではなかった」と後のインタビューで述べています。
学び③:緻密な計画よりも「偶然」をチャンスに変える適応力

キャリアサポートのプロの立場としては、少し気を付けないといけない表現ではありますが、「完璧なキャリアプラン」というものはないし、そもそもそれを目指す意味もないと考えています。
あの偉大な功績を遺した鳥山先生でさえも、ここまでの情報を見る限り、どうみても緻密なキャリアプランの上に、この実績を積み上げたようには見えません。
(もちろん、私の知りえない部分で実はすごく計画されていた可能性はゼロではないです)
漫画家への契機となったジャンプ新人賞への応募も、ヘビースモーカーだったため、たばこ代がほしい一心からだったと後に語っています。
世の中の状況は刻一刻と変化していきますし、それを織り込んだ完璧なプランというのは存在しないはずです。
ただ、大事なことは、チャンスが来た時にそれをつかむため、まずは目の前のことを全力でやることだと思います。
学び④:成果はすぐ出ない。「1万1回目」の精神で全力を尽くす
初の漫画投稿は、残念ながら読者アンケートで最下位となってしまいます。
しかし、そこから鳥山先生はめげずに、1年間で500枚もの原稿をひたすら描き続けました。
しかもひたすらボツを出され続けながらです。
鳥山先生ほどの才能を持つ方でも、いきなり成果が出たわけではなく、このようなひたすらの下積みがありました。
ここから学べることは、当たり前ですが、「成果というのはすぐにでるものではない」ということと、「頑張る時は全力を尽くす」ということです。
量より質という考え方もありますが、何事もある一定以上のレベルになるには、多くの場合、それなりの時間や労力の投下が必要です。
1万1回目は何か変わるかもしれないの精神で、ひたすら全力を尽くす期間というのが、キャリアのどこかでは必要なのだと思います。
まとめ

ここまで鳥山先生のキャリアと、そこから私たちにも活かせそうなキャリア構築の学びについてみてきましたが、いかがでしたでしょうか?
キャリアに正解はありませんが、この記事がみなさんの今後のキャリア構築に役立つ点があれば幸いです。
※本記事での鳥山先生のご経歴に関しては、各種Web記事やインタビュー記事を参考としております。できる限り参照元が明示されている情報を参考としておりますが、もし誤りなどがございましたら、お手数ですが弊社「お問い合わせ」よりご指摘いただければ幸いです。
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