小さいころ、街中に突如現れる、その白くて優しそうなおじさんは、子供心ながらに「なんか良い人そうだな」と感じさせてくれる不思議なあたたかいオーラを発していました。
そしてそんなおじさんが入り口に立つお店からは、いつも育ち盛りの食欲を激しく刺激するいいにおい…
フライドチキンのお店と言えば、ほぼ全ての人が連想するのではないでしょうか。
そう、お店の名前は、『ケンタッキーフライドチキン(KFC)』。そして入り口に立つのは、KFC創業者、カーネル・サンダース氏です。
そのにこやかな顔と、真っ白いスーツを着こなした出で立ちに、大成功を収めた裕福な起業家というイメージを持ちがちですが、調べてみるとそこに至るまでには大きな苦労や試練があり、私たちがキャリア構築を考える上でも非常に学びになるものが多くありました。
本記事では、カーネル・サンダース氏の半生を振り返りつつ、私たちにも役立てられるキャリア構築のヒントを見ていきたいと思います。
10歳から働いた幼少期

サンダーズは、1890年にインディアナ州で生まれました。
父親は5歳の時に亡くなり、10歳からは農場に住み込みで働き始めました。
その後、学校は14歳で辞め、その頃には農場以外にも、市電の車掌としても働いていました。
職を転々…経験職種は40以上
一時期は陸軍に所属していましたが、約1年で除隊。
その後、青年期において、サンダースは様々な職業を渡り歩きました。
鍛冶師見習い、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、タイヤのセールス、ペンキ塗り、弁護士実習生、フェリー会社の経営、商工会議所の秘書……
その数は、実に40種を超えていたと言われています。
34歳、設立した会社の経営不振で全財産を失うも、トップセールスマンに

31歳になったサンダースはガスライト製造の会社を立ち上げますが、同時期に登場した電気ライトに押されて経営不振に。結果、全財産を失います。
しかし、その後ミシュラン・タイヤの営業マンの仕事につき、瞬く間に全米1位の売上を持つセールマンに。
しかし、順調に思えた営業マン人生も、36歳の時に橋から車ごと転落する大事故で大けがを負ってしまい、わずか1年半でミシュランを辞めることになります。
ヒッチハイクでの出会いからガソリンスタンド経営へ
怪我が治ったサンダースは、職探しを再開します。
当時車を持っていなかったため、ヒッチハイクで仕事がありそうな街へ向かいますが、この時にサンダースを拾ってくれたのが、石油会社のマネージャー。
ヒッチハイクの道中、2人は意気投合し、マネージャーはサンダースにガソリンスタンドの経営を提案。
この偶然の出会いから、サンダースは30代後半でガソリンスタンド経営へ乗り出します。
画期的なサービスで大繁盛するも、まさかの事業撤退。再び無職へ
サンダースは、熱意をもって様々な施策を打ち出しました。
・他店よりも2時間早い朝5時開店
・フロントガラス拭きや車内マットの泥掃除など、無償サービスの実施
サンダースのアイディアとハードワークにより、店は大いに繁盛をしましたが、当時、世界情勢を大きな混乱に陥れた世界恐慌により、サンダースは店を手放すことになります。
39歳で再び無職となることに。
40歳。副業がてらレストラン事業をスタート

お店を手放すも、その評判は他の石油会社にまで届いていたようで、新たなガソリンスタンドの経営を持ちかけられます。
サンダースはその提案を受け、再度ガソリンスタンドの経営へチャレンジすることに。
同時に、新たなサービスも取り入れることにしました。
それが、レストラン事業です。
ガソリンスタンドを利用するお客様から、よく「この辺においしいレストランはないのか?」と聞かれていたこと、そして自身も大の料理好きであることから、このレストランサービスを閃いたそうです。
店は順調に拡大。そしてついにあの商品が誕生…
ガソリンスタンドとレストランの両輪は上手くかみ合い、お店は順調に拡大を続けます。
そしてサンダース42歳の時に、ついに今でも大人気を誇るあの商品が登場します。
そう、「フライドチキン」です。
母の味を元に作ったこのフライドチキンは、そのおいしさに瞬く間に評判が広まり大ヒット。
お店は更なる成長を遂げ、40代後半にはモーテル(ホテル)も併設したレストランをオープン。
しかし、オープンから2年後に、火災で全焼。
これを機に、サンダースはレストラン一本に事業を絞っていくことにします。
65歳で三度目の無一文へ

圧力鍋との出会いや、今なお受け継がれる秘伝のレシピ完成もあり、レストランは大いに繁盛をしていましたが、高速道路が移転し、お店がメインのドライブルートから外れてしまったこと、ぱたりと客足が途絶えてしまいます。
ここまでも波乱万丈でしたが、65歳にしてレストランを手放すことになり、三度無一文になってしまいます。
不屈のサンダース。車中泊の末、1,010回目の営業で契約獲得

すべてを失い、まさにどん底のカーネル。
そんな時、友人の料理人との食事会で、フライドチキンをふるまったところ、これが大絶賛。なんと自分のお店のメニューに加えたいと提案を受け、後に「ケンタッキーフライドチキン」と命名して、売り出すことに。
そして、サンダースは、何もかも失ってしまった自分に唯一残された、フライドチキンのレシピの価値に気づきます。
車に圧力鍋と材料を積み込み、車での寝泊りを繰り返しながらアメリカ中のレストランにケンタッキーフライドチキンを売り込みました。
一軒一軒レストランを巡るも、門前払いは続きます。
しかしあきらめないサンダースは、ついに1,010回目で契約を獲得。
初年度は数店だけの契約でしたが、翌年から人気が大爆発し、あっという間に数百店までフランチャイズが拡大していきました。
最後まで世界を駆けまわるサンダース
フランチャイズビジネスは急拡大していき、店舗数が600店を超えた頃、サンダースは経営を後進に譲ります。
しかし完全に引退したわけではなく、その後、亡くなる直前までKFC親善大使として、世界中の店舗を訪れ、普及に努め、90歳でその生涯に幕を閉じました。
カーネル・サンダース氏から学ぶキャリア構築で大事なこと

ここまで、その激動の半生を振り返ってきましたが、ここから私たちのキャリア開発においても非常に重要なポイントをいくつも見ることができます。
学び① 「計画的なキャリア構築」に期待しすぎない
キャリア支援をする立場としては、非常に言い方に気を付けなければいけませんが、キャリアが計画的に構築できるなんてことは、そうそうありません。
ここで、ざっとカーネル・サンダース氏のキャリアを表にまとめてみました。
| 年齢 | 出来事 |
|---|---|
| 10歳 | 農場に住み込みで働き始めるも、わずか一カ月で解雇される。 |
| 14歳 | 学校を辞め、農場や市電の車掌などの仕事を経験する。 |
| 16歳〜 | 40種類を超える職業を転々とする。 |
| 31歳〜 | ガスライトの製造会社を設立するも、経営難により破産。 |
| 36歳〜 | 全米1位の営業マンになるが、事故をきっかけに無職となる。 |
| 37歳 | ヒッチハイク中に石油会社のマネージャーと運命的な出会いを果たし、ガソリンスタンド経営に関わる。 |
| 39歳 | 世界恐慌の影響で事業撤退。再び無職となる。 |
| 40歳 | ガソリンスタンド経営に再挑戦し、併設レストラン事業をスタート。 |
| 42歳 | ホテル事業を開始するも火災で全焼。レストラン事業に専念する。 |
| 65歳 |
高速道路の移転により客足が激減し、事業を手放して再び無一文に。 その後、フライドチキンの飛び込み営業を開始し、1,010回目で初契約を獲得。 |
| 68歳 | ケンタッキーフライドチキン(KFC)の会社を設立。 |
| 77歳 | 経営を譲渡し、以降は世界中を飛び回るKFCの親善大使として活動。 |
いかがでしょうか?
この紆余曲折ぶり。どうみても計画的に進んだものには見えません。
日本では、「転職回数は3回を超えると理想的なキャリア形成に支障をきたす」みたいな言説が唱えられることがありますが、サンダース氏の転職回数はご覧の通り3回どころではありません。
しかし、これらの経験があってこそ、ヒッチハイクでの出会いがあり、今のKFCにつながっています。
長年キャリア支援をしてきてひしひしと感じますが、キャリア構築で大事なことは「計画性」ではなく、「その時その時の仕事で全力を尽くすこと」ではないかと思います。
※もちろん、キャリア計画全てが意味がないということではありません。
ちなみに、サンダース氏も10歳ではじめた仕事が、幼さゆえか身が入らず、たった一カ月でクビになったとき、母から言われたこの言葉を、その後の人生で非常に大事にしていたそうです。
「仕事で大切なのは、ベストを尽くすこと」
学び② 自分ではどうしようもない外部環境の変化があることを知る

計画的なキャリア構築に期待しすぎない話とも重なりますが、キャリアにおいて、どうあがいても仕方のない環境の変化というのは存在します。
サンダース氏でいえば、電気ランプに駆逐されたガスランプ事業、高速道路移転によるレストラン事業の撤退などなど…
不屈のサンダース氏ほどの人物でも、外部環境の変化には勝てませんでした。
いくら緻密な計画を立てても、予想だにしない状況の変化により、土台から崩されてしまうということは往々にしてあります。
しかし、そこであきらめず試行錯誤を繰り返して、適応していくことがキャリア構築では非常に重要なポイントとなります。
実際にその状況に陥ると、「なぜ自分ばかりこんな不運が…」と落ち込んでしまうかと思いますが、どんなに努力しても覆されてしまう環境変化が起きることはもう仕方がないと、はじめから気持ちの準備をしておくだけでも、リカバリーまでのスピードを上げることができるかもしれません。
学び③ 「あきらめなければ試合終了にはならない」の精神

サンダース氏の経歴を振り返ると、34歳で全財産を失い、36歳で無職になり、39歳で再度無職になり、65歳でまた無一文となっています。
「打席に立ち続けることが重要」「成功するまでやれば成功できる」という言葉は言うは易しですが、それをここまで体現してくれた人はそういないでしょう。
キャリアを歩んでいく中では、「これはもうダメだ…」と目の前の可能性がすべて閉ざされてしまうようなショックを受けることも時にありますが、どんな時も動き続ければ突破口はあるものだということを、サンダース氏から学ぶことができるのではないでしょうか。
学び④ 人生は長い。キャリアの成功失敗は30~40代くらいじゃ分からない

数度の破産を経て、今のKFCの原型となるビジネスができたのがサンダース氏65歳の時。
その後、車での移動が増え、テイクアウトの需要が発生したことでビジネスは急拡大を遂げていき、店舗数が600店まで増え、後進に経営を譲ったのは70代後半でした。
勝負は最後の最後まで分からないと言いますが、キャリアも同じく、自身にとっての成功か失敗かなんていうものは、人生の終盤まで分からないものです。
そう考えると、今の日本で働き盛りと言われるような30~40代においては、どんな成功も失敗も、まだまだ布石のようなものです。
その一つ一つに一喜一憂すること自体は悪いことではありませんが、必要以上に図に乗ったり、あらゆることに絶望するような必要はありません。
まして、人生100年時代と言われ、多くの人にはこれまでより長い人生が待っているのです。
まとめ

カーネル・サンダース氏のキャリアと、私たちにも活かせそうなキャリアの学びについてみてきましたが、いかがでしたでしょうか?
キャリアに正解はありませんが、この記事がみなさんの今後のキャリア構築に役立つ点があれば幸いです。
※本記事でのカーネル・サンダース氏の経歴に関しては、ケンタッキーフライドチキン公式サイトや各種Web記事を参考としております。できる限り参照元が明示されている情報を参考としておりますが、もし誤りなどがございましたら、お手数ですが弊社「お問い合わせ」よりご指摘いただければ幸いです。
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